再びの「織戸市朗先生」

昨日14日午前 博物館長(川越市立)宛て「板碑調査報告書」を手渡しいたしました(既述)。これで教育委員会に正式に提出されたことになります。当の教育委員会は板碑出土の密度の濃さ(3tダンプ3台分の残土より70片もの板碑が出土した)と重要で貴重な板碑が多く含まれている事を重視し 出土板碑を移送し調査する意向です。発見・採掘・採取の当事者である私と館長との最初の計画通りに変更されます。日高市教育委員会が多忙なのにわざわざ割り込んで 調査まですることも無かった訳です。
そして隠蔽されている「残土出発地」と「造成に使用した土の源地」は当然明らかにされます。「文化財」の取り扱いに関し造成業者は事情聴取される筈です。この造成地を購入した現居住者にきちんと説明する義務もあります。然る上に未採取のままになっている文化財は可能な限り採取されると思います。全面的に協力要請を私は受諾いたしました。
その第一歩として市の板碑の予備知識をと 特別貸し出しを受けた史料がこれです。



市史の第二巻一冊を「中世編別巻板碑」としているほど重要なのですね。
しかもこの500ページにわたる膨大な史料は

あの故織戸市朗先生が手掛けられたのです。体調を崩し病につく十年前のことでした。


こんな大事業も織戸先生でしたか。