朝顔

槿(むくげ)は当時「朝顔」と呼ばれていました。安土・桃山時代のお話ですが。千利休の庭は溢れんばかりの「朝顔」が咲き乱れ それを知らぬものなどいなかった程でした。豊臣秀吉は一度観てみたいものだと考えていましが なかなか実現できずにいたようです。ある年 やっと念願が叶うことになり 意気揚々訪れました。ところが豈図らんや(あにはからんや・変換不能朝顔は咲いておりません。ただの一輪も。
失望しながらも庵(いおり)に案内(あない)され 茶室ににじると平伏し(ひれふし)迎える利休と「朝顔」が一輪花活けに。                              やっと秀吉に血が巡る平常を取り戻せたろうと想像いたします。

      
                    御点前


秀吉は錯綜する想いを 押し込めて平常心を装った事と思います。
利休は満開の「朝顔」を一輪残さず剪定して迎えたわけです。吉野桜を好む秀吉は「全山之桜」の絢爛豪華派。「山里を分け入りて観る一輪の桜」の利休の侘び寂びの世界観を理解できても実にならなかったのでしょうか。利休は何とかして真髄を伝えたかったのだと言うことが ふたりに微妙なズレを生む結果となり 一方は理由にならない理由をつけ 一方は不甲斐なさを胸に自害する結末を迎えねばならなくなります。利休が腹を召した短刀が裏千家宗家に現在も伝わります。逢う度 身が引き締まると宗家の当主は仰います。