若宮遺跡の瓦 鄱

南西側エリアから 採取した軒平瓦(女瓦)瓦当(がとう)部分

左端部分です。高麗郡設置時に創建された「女影寺(廃寺)」のものでしょう。であれば創建瓦か補修瓦かが問題になります。私見ではその他に伽藍を構成すするほかの建物の瓦かどうかも考える必要があると考えます。卑しくも朝廷が敷いた新しい郡寺であれば また国宝級の飛鳥川原寺に類する八葉複弁蓮華文軒丸瓦を使用させた寺であればかなりの伽藍構成を考慮する必要がある。もうひとつ重要なことは製造窯を特定する事です。エリアには西方4.5kmに高岡窯(日高市) 北方10kmに南比企丘陵窯郡(鳩山町)南方10kmに東金子窯(入間市)がある。これらのうち南比企丘陵窯郡は発掘調査が進み資料が揃っているが 若宮遺跡からの現在までの出土瓦は皆無だ。東金子窯は小高い岡にありこの岡の保存するために発掘ができない。武蔵野音楽大学を建設する際に発掘調査が行われたがごく一部に過ぎず史料は極小である。高岡窯は1955年に一度 東京大学古代史会が発掘調査をしただけで全容の解明は未完である。しかし地主の金井氏の採取遺物や私の分布調査などでの史料が多少ある。確定は出来ないが 使用粘土 製法 焼成など類似点が多い。




接合の手法や材料の用い方に史料との共通性が覗える。また「笵(はん・瓦型)」のカウンター(地部)に使用木材の繊維縞がありこれも類似する。
また先般 中央西部で出土の平瓦のそれも類似したいることが判明した。