皆既月食

11:05から始まった皆既月食
11:31頃が「食」の最大だった。


私のカメラではこれで限界。



京都タワーとのランデブー(京都新聞より)


【ぷち・あずき知識】
今日の様に類希な天体の出来事は 歴史の上でも重要な意味を持つことがあります。
例えば 皆様ご存知の「法隆寺」にまつわり 天体の珍しい現象がある重要な決め手を割り出すのに一役かいました。
法隆寺」は何方にも知られている寺院なのですが 何時建造されたのか解りませんでした。実は古都にある寺院で同じように創建のはっきりしないものが廃寺も含めると数軒ございます。それはさておき「法隆寺」ですが不思議なことが沢山ある寺院ですね。なかでも五重塔はその象徴的な存在かもしれません。この五重塔は昭和の時代に大改修が行われました。その工事報告書は中々興味ある事項が多いのです。そのひとつに「落書き」の報告がありました。天井板の裏側に沢山の落書きが発見されたのです。

このほか有名な短歌もあります。
私たちが注目したのは次の文字の落書きです。

         「六月肺出」

これは五重塔の初重の天井板の裏側に書かれた「落書き」です。解読いたしますと「六月」は6月ですが旧暦ですから現在では7月頃でしょうか。「肺」 これは「彗星」のことです。「出」これは文字通り「出現した!!」くらいの感情が篭った書き方ですね。「ビックリだ!!彗星がきたゾ!!」と言う驚きに満ちた「落書き」なのですね。となると「ハレー彗星」の他はありません。イタリアの古都フィレンツェでジョットーがこの「ハレー彗星」を描いております。1301年の事です。「ハレー彗星」は周期が76年です。そこから逆算すると・・・541年 617年 693年・・・となります。傍証としては朝鮮半島史書「三国遺事」の新羅 真平王39年の記事に融天星歌がみられます。彗星出現と同時に倭の大軍が一斉に撤退したと言う記事があります。この年は617年です。

日本書紀 巻二十七」天智天皇九年(670年)に「夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺。一屋無餘。大雨雷震。」とある。「夏四月30日の あかつきに 法隆寺に火つけり ひとつのたてものも あまることなし。大雨降り雷なる」と言う意味です。これは発掘調査が完了し法隆寺の現地表下にあった「若草伽藍」である事が確定しました。

もうひとつ 国立奈良文化財研究所が10年前に重要な検証結果を発表いたしました。
法隆寺 五重塔の心柱の伐採年は594年である。」
これは最新の年代測定技術によるものです。


結論
現在の「法隆寺」は何処かで500年代終盤から600年代初頭にかけて創建された。
全焼した前法隆寺若草伽藍を埋め新たに整地して 現在の「法隆寺」伽藍を移築した。
となりましょう。


2011・12・10が歴史の何処かで確証となる日が いつか来るのかと思うとワクワクする一日を過ごし 皆様と共有できた喜びを増幅いたします。ありがとうございます。