「五常の滝」の緑泥片岩


渇水期の入り口である今頃の季節の水量が 風情に優れている。

西武鉄道秩父線 武蔵横手駅付近で国道399号を北に曲がり林道を昇って2kmの地点にある。標高は250m。



谷川と交差しながら林道は急坂の連続。結構キツイ!

転石の中に石器の原料となる岩石がちらほら

目指す「緑泥片岩」は 上流域から平均して分布している。

今日の最初のお目見えはこれ!
早速採取。


結論
「宿谷の滝」「滝沢の滝」「五常の滝」三滝の全てに「緑泥片岩」は確認できました。そのほか旧石器・縄文時代を通じ人々が営々利用してきた貴重な石器の原石も確認できました。
この時代の研究が盛んに行われるようになってから半世紀を経過した現在 考古学も分野を越えてグローバルに「智」の交流を行う必要があります。フィールドを重視する学問でありそのフィールドを 単に遺跡に限らず広げることこそ急務と考えます。
これで 従来この地域の定説が速やかに見直される必要がありましょう。つまり「緑泥片岩」はこの地方には無く 長瀞の上流まで尾根づたいに2日の行程で原石を採取に行っていた と言う定説は速やかに訂正されるべきです。ほぼ5〜10km圏内に供給地が存在しました。
なお中世の「板碑」原材料となる「緑泥片岩」については岩盤は多数確認できますが採掘の確証を見るまでに至っておりません。今後の検証を待たねばなりません。

今年一年を振り返りますと 正月三日に残土山から中世の供養塔である「板碑」を発見し 発掘から分析 そして日高・川越両教育委員会との連携しての分析で夏までかかりました。
夏期からは勝呂寺(すぐろじ・坂戸市 廃寺)にはいり 九州王朝との密接さを究明 女影廃寺のフィールドにはいり 大寺廃寺 高岡廃寺も含めて 瓦を通じて「文化」の流れを観た。
そして年の瀬を迎える頃に地質学・岩石学の各学者と知り合い 「緑泥片岩」をはじめ石器原石の採掘場所の特定などを通じ定説を覆す発見まで行いました。
専門の日本美術史においても 奈良期までの年表の編纂を行い いよいよ実証に移る所まで辿り着きました。九州に移転する条件は整った事になり 新年に向かいます。
美術史は考古学やそのほかの分野と分離して単独での成り立ちは無く 交互にリンクしあうことも知りました。法隆寺 東大寺 川原寺 法興寺 三十三間堂 桂離宮など軒並み九州王朝からの移設も解明されました。新年は法隆寺金堂6号壁画から取り組みます。
多くの方々と知り合い またお世話になりここまで来れた事に 厚く御礼申し上げます。


皆様 何時もご覧頂きありがとうございます。
どうぞ良い年をお迎えください。
                         mh5敬白