元号 弘化

清流の見事な「庚申塔」は弘化二年三月(彼岸)の建立でした。弘化年間と言えば幕末 なにやら世の中がざわつき始めていたのかも知れません。弘化と言えば印象深い石碑がございます。

西竹之内の西はずれをかすめて通る古道に立つ「馬頭観音」の文字石碑です。南の飯能市との境界線にあったものです。

彫りも達者だし なにより原稿の文字の素晴らしいことこの上ない。特に「かなもじ」が流暢なのです。文字の「馬頭観音」石碑は供養塔の場合が多く 江戸期は輸送手段に馬が盛んに使用され 途中などで事故による死亡したりする事も少なくなかったでしょう。

裏に廻ると一面 所狭しとその流暢なかな文字が躍ります。南は「いるま川(入間川)」東は「かわこえ(川越)北は「上かやま(上鹿山)おごせ(越生) 小川」とあり 当時はこの古道も主要道路だったのです。ここは「女影村」であって 竹之内の標記はありません。
「待てよ」 これは期せずして洩れた独り言。
建立の記述に「?」がつきました。「弘化五年二月」とあります。「弘化」と言う元号は新年早めに「嘉永」に改号された筈です。「二月」まであったかな? の「待てよ」だったのです。たしか「弘化」から7つほどの元号を単年で繰り返し明治維新となり「明治」の元号に雪崩れ込んだイメージがあるのです。
調べた結果「弘化五年」は2月28日まであることが判明し 一件落着となりましたが きわどい年号なのです。
天保」・・・十四年
  ↓
「弘化」・・・五年
嘉永」・・・六年
安政」・・・六年
「万延」・・・元年(一年)
文久」・・・三年
「元治」・・・元年〈一年)
「慶応」・・・4年
  ↓
「明治」
このようになります。「弘化」は単年元号の始まりの元号なのです。この期間は事件も多いし『要注意』の元号なのです。