能仁寺


能仁寺(のうにんじ)本堂です。大屋根の伸びやかな広がりは全てを包容する“禅”の奥儀を指し示すのか。あたりのたゆとう奥行きを そして深さを内示するようです。

境内をゆるりゆるりと歩を執れば 邪念のひとつひとつが毀れ落つ。

静かに佇めば やがて「零」に還るだろう。

天覧山を後方に置く能仁寺は文亀(ぶんき)年間(1501〜3)の建造です。中山家勝 その子息家範が名僧斧屋文達師を招き禅道場を開きました。

元禄十年(1697年)八月二十五日 前天台座主1品公辨親王(さきのてんだいざす いっぽん こうべんしんのう)から額字を賜り 本堂に現在も掲げて有ります。訪れた当日は撮影できませんでした。

徳川家とは関係が深く家康は香華料を寄進しており 綱吉(五代将軍)に中山直邦が仕えました。宝永二年(1705年)に家綱から寺に五十石の朱印状を賜りました。

幕末 慶応四年5月 飯能戦争の時 本堂が振武軍の本陣となり焼失し 昭和十一年に再建され今日に至ります。
曹洞宗名刹です。