姥田窯遺跡

1月27日の「史料ー2」でご紹介した「古代のかわら」によると 武蔵国の窯のうち日高市には2箇所の存在を記しております。一つは「高岡窯」でもう一つは「姥田窯」でした。
「高岡窯遺跡」は一部発掘されおおよその傾向や特徴などは把握できておりますが 一方の「姥田窯遺跡」は未発掘で簡単な踏破調査程度で殆どわかりません。「古代のかわら」の著者大川 清博士は戦後に視察なさったように愛弟子のY氏から伺いました。そこで分布調査を敢行しようと決め昨日地権者や見識者とお逢いして下準備を致しました。

小高い丘の南と東の裾が中心地のようで 檜の植林がされています。このように下刈りに手が入っているところは少なくブッシュに覆われた現場ということですね。


まあ 難攻が予想されますが 不可能ではないでしょうか?
東側の遺跡指定から100mも離れた地点で布目瓦や須恵器 縄文中期の土器や石器まで出土し 3年前から分布調査をして居りました。当時は別な新たな遺跡かと考えておりましたが どうも「姥田窯遺跡」の東端ではないかとの見解に至りました。窯遺跡関係の遺物をご紹介いたしましょう。

40mm・30mmの菱形で 軒丸瓦の下部です。厚みは11mmほどで 薄い部類に入ります。

ほぼ同じような布目瓦です。二つ共に120mm径の軒丸瓦です。

採取場所が畑でしかも実にまめな農家の家系らしく出土する遺物は粉々になっています。これは全て布目瓦です。もっと沢山ありますよ。

これは平安以降に製作された雲母粉(きらこ)を利用した瓦です。「高岡窯」では確認されていない瓦です。

須恵器の甕(かめ)の底に繋がる部分です。

径100mm前後の「杯(つき)」または「皿」の糸切部(底)です。須恵器の糸切部が異常に多く出土するのは窯遺跡を示す特徴です。

須恵器の蓋のツマミです。丁寧な成形が覗われます。

姥田は名が示す通り田圃が多くあります。雉も多く棲んでいて何時でも姿を観ることができます。しかしこの様にオスが二羽 仲良く餌を食むシーンはめったに見られません。