板碑

「不思議?」の項で観に行きました板碑の説明をしておきましょう。

最上部を文字通り「山形」といい 横に二本の溝がありますが これを「二条線」と言います。

次の大きな文字は梵字で「キリーク またはキリク」と読み阿弥陀の記号です。この梵字が「蓮華座(蓮座)」に乗っています。初期は梵字ではなく仏像でした。

次に「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」というお経の一節が書かれています。

感じで四行  光明遍照(こうみょうへんじょう)十万世界(じゅうまんせかい)
念仏衆生(ねんぶつしゅじょう) 摂取不捨(せしゅふしゃ)  です。
大意は 「(阿弥陀様の慈悲の)光明は十万世界を遍(あまね)く照らし 念仏(南無阿弥陀仏)を唱える衆生(人々)を一人として洩らす事なく 浄土に導いてくださいます」

中央に施行の日付け「正和三年甲寅(旧字)八月八日 時正 第二 敬白」
西暦に直すと1314年です。きのえね・とら(十干十二支) 時正とは彼岸のこと つまり昼と夜の時間が等しい日に事です。春と秋にありますが第二ですから秋をさします。旧暦ですから八月八日にあたります。
日付の左右に二行ずつ漢字で「願文」が記されています。その大意は

「この塔婆を建てる志を持つ者は父母 師長など七代にわたる多くのご恩のため ならびに現在生きている二十二人が 僅かな費用を寄せ合い助力した物です。結縁者(仏道に縁を結ぶ者)が極楽に往生できますよう 仏の世界に生けとし生ける者が平等にご利益を受けられますようにお願いいたします。逆修如件(ぎゃくしゅ くだんのごとし)逆修とは活きている間に死後の冥福を祈る事。如件とは 決まり文句で 以上の通りです。

板碑は長瀞 江南町の上流20km地点に産する緑泥片岩(りょくでいへんがん)で製作される供養等の一種で1200年頃から1500年後期頃まで続きました。ここでご案内いたしました板碑は台頭期に当たる時期に建てられたもので結衆(けつじゅう)逆修などのはしりとも言える貴重な史料なのです。
   結衆ー仏教上などの想いを同じくする人々が集まって建造する。
   逆修ー本来は父母先祖など亡くなられた方のために建てたが 生前の者のため      にも建てること。
武蔵国で四〜五万基あるといわれる板碑。このご案内いたしました板碑が建てられた時期から1350年前後の第一期最盛期に向かいます。
また1314年は鎌倉時代の中期で 前年には吉田兼好の「徒然草」が成立しました。疱瘡が流行ったり不安定な時期だったらしい。