貞和四年(1348年)

四条畷(しじょうなわて)の戦い1336年時の鎌倉幕府の計らいで朝廷は北(山城平安)と南(大和吉野)に二分しました。南北朝時代となります。

1348年 四条畷の戦いが起こります。足利方の高師直(こうのもろなお)に楠木正行・正時兄弟が討たれ 大和吉野行宮は陥落し 後村上天皇は奈良五條へ逃れます。これにより北朝に主導権が握られます。1351年に南朝は復帰しますが一時的に終わります。
1392年足利義満の斡旋で両統迭立南朝後亀山天皇三種の神器北朝後小松天皇に返却し合体します。これで南北朝時代は終わります。

1348年の四条畷の戦いは南北朝時代の重大な出来事でした。
あの板碑は奇しくもその年に建立されたのです。