「お赤飯」が結ぶ“縁(えにし)”ー2


榊の枝葉に「お赤飯」を盛り お供えしている。数日を経ているので小鳥たちが掻き回していたが都合七軒分の「お供盛り」を確認できる。
ここはもう何度も掲載しましたのでお馴染みかもしれません 「九万八千神社」です。

巾着田から北に伸びる「かわせみ通り」 左が「鹿台(ろくだい)」「日向(ひなた)」地区で日和田山の登山口です。
右が「元宿(もとじゅく)」「上ノ原」地区で檜のこんもりとした所が神社です。「上ノ原遺跡」と「鹿台遺跡」のど真ん中です。左(西)に100mの所を高麗川が流れています。

急坂を登り詰めた所に鳥居があり 直ぐ後ろが御神木の大檜です。江戸期の植樹でしょう。

拝殿です 小規模ですが貴重な建造物です。文化財に指定しないのが不思議でなりません。宜しいのですか?


藁縄の掛かった部分は横向きの象の頭部です。腹部に中る所に「八千矛」が彫られています。少し刃先が見えています。
やはり11月3日が「お祭り」だったのです。すっかり「流鏑馬」に走り回っていました。

合祀社(ごうしやしろ)にも「榊のお赤飯盛り」が供えてございました。
長老 氏子代 世話役の方々のお話では古来からの習わしらしいのです。
「九万八千神社」の「九万」は「クマ」と読み「熊」です。「八千」は「ヤチ」で「八千矛(やちほこ)」です。「熊野八千矛神社」の意味でしょう。
ご存知の「氷川神社」は「ヒカワ神社」で出雲を流れる「斐伊川」です。本社のある大宮は出雲族の一派が篭った所です。
これは日本のダークな痕跡を残す爪あとといいますか約二千年の遺恨でしょう。


ここ「九万八千神社」から真北に直線を引くと線上に先ず「高岡廃寺跡」があり「大寺廃寺跡」「XXXX神社跡」「住吉四所神社(元葛貫神社・つづらぬき)」があり「出雲伊波比神社」があります。この内「葛貫神社」は付近に「宮」など関連した地名に包囲されていることからしても宮跡ではないでしょうか。「大寺廃路跡」の北には「矢倉」など「兵」や「武」に纏わる地名が残ります。埋もれてしまった大掛かりな一連の組織の「かほり」が漂います。