久し振りの「白幡遺跡」


正面中央のコンモリ茂った林の中に「白幡神社」があり 背後50mにある「花蔵寺(けぞうじ)」とに挟まれた処が「白幡遺跡」の中心地である。旧石器の後期から縄文時代あたりから江戸の後期にかけて集落があったと思われます。小畔川が北域を蛇行して流れ豊かな土地であったのでしょう。表層で黒曜石や頁岩 チャート 瑪瑙の石器が多数採取しました。
かなりの「力を持った個人または集団」の存在を示す証拠があります。
白幡神社」は軍旗が白幟であった新田義貞がここに陣を張ったのを由来とします。


2点の黒曜石は石器(削器またはナイフ)の欠けたものです。

安山岩の削器の完全品も採取いたしました。そのほか縄文土器片が13点 採取されました。
以下洗浄 乾燥を経た後にUP致します。