江戸絵師 紫屋歌麿 下


前回は主に歌麿の生涯(そんな大げさなものではないが)について記しましたたが 本題の「紫」に入りましょう。
私も大好きな「ボストン美術館」 若き日MITのある授業に関係したご褒美はこの美術館に「入り浸る事」の一事。
それはさて置き その時に偶然知った「スポルディング・コレクション」 それこそ使えるコネクションを全て総動員して上層部の方に平身低頭の懇願「見せて!」
返ってきたお返事は「冗談で?」  チョン! 撃沈のチン!。
21世紀に入ってありがたい事にデジタル化して公開という 「ゆめ」 のようなことに!
それもさて置き かのボストンの大富豪ウィリアム・スチュアート ジョン・テーラースポルディング兄弟が明治・大正時代に集めた約6,500枚に昇る上質な浮世絵が1921年ボストン美術館に寄贈されました。その条件が「館外持ち出し禁止」「公開禁止」(これでは寄贈の意味無いじゃん。)契約を守る事80年。しかし 非常に厳格な美術館も作品に影響を及ぼさない「デジタル化」をして 公開しようと決断! 良い時代になりました。
喜多川歌麿の作品は382点 これはこのコレクションのそれこそ白眉! 日本の専門家も集ってこれを分析いたしました。結果 新しい事実が数多く判明いたしました。そのひとつは「呂」の生地の透けの効果 下に着た模様が窺がえます。ある作品では「二の腕」がはっきり表現されて一層素晴らしい作品である事が判明したりしました。
私が着目したのは彩色 「紫」の多用です。作品の実に三分の一以上にこの「紫」が使用されています。しかも分析の結果 「紫」は紅と露草 または紅と藍を調合しますが 歌麿は全て前者 つまり露草との調色でした。
「露草」は色彩三要素全てに素晴らしい特徴を持ちその上透明感に優れた色材ですが 原料が植物のため極端に退色が激しい難しい材料です。それを敢えて使うところに歌麿の並々ならぬ「心意気」があります。惚れ直します。
「錦織歌麿形新模様うちかけ」と言う図ですが 左がコレクションのものです。これだけ鮮明です。では何故これほどまでに「紫」を使用したのでしょうか。
江戸の初期は一般に「紫」は着てはならなかったのでした。それが許されるようになった事が理由の一つでしょう。つまりは「紫」が町民のものに帰ってきたのです。
それにデジタル化された浮世絵を見渡すと 様々な紫を適切な配置で使用して 画面効果を上げています。それは女性の年齢や立場 あるいは心情さえも反映した使い方をしております。恐るべしで御座います。
もうひとつは武士嫌いといいますか 体制へのなみなみならぬ反骨心では無いかと考えます。
寛政八年ごろの作品があります。PCモニターとNIKONが相性が悪くカラーバランスの好くない物ですがお目にかけましょう。「青楼歌舞妓やつし画尽」です。



ご存知 団十郎の十八番「助六」です。このお芝居は女性をメグって鼻持ちなら無い武士を町民がはなをあかす痛快な筋立てです。極言すれば重三郎も本人の歌麿も幕府に殺されたも同然ですね。日頃の軋轢を「助六」の頭に付ける「紫」に具現化したのではないかと推理いたします。3枚続きのこの大作に描かれる女性は「紫」を着ております。
お時間が許せば下記URLから良好な「青楼・・・」をご覧ください。最後の「3」にございます。
http://jp-koukoku.com/digtal_museum/utamaro_3/utamaro_3_G.html