新たな遺物

26日(昨日)日高市の北域にある「大寺廃寺遺跡(埼玉県文化財指定)」から「軒丸瓦 瓦当部(がとうぶ)」が採取されました。


耕作によると思しきストレスを受けて摩滅が激しいですが 神社に使用された「雲母粉(きらこ)瓦」です。奈良期までの「布目瓦」に変わる次世代の瓦で平安期以降のものです。瓦の粘土成形時の型との剥離に麻布に替えて雲母の粉を使用する技法が伝わりました。デザインが「左巴(ひだり・ともえ)」で巴枠が二重であることが珍しく 笵(瓦の型)の作りが優れています。直径は推定で100mmで時代を考慮すると神社としてはかなり大掛かりなものです。
しかも火災に遭遇しています。大寺は室町時代に焼き討ちにより消滅しました。犯人は解っていますが記せない事情があります。神社も同じ運命を辿ったのでしょうか。
「左巴」は現在も使用されており 平安期の使用例は確認されていません。早い時期の使用例の確証となると思います。
「巴」に関しては定説がありませんが「水」を現し火災を避ける意味で瓦に使用されたとする説があります。
また「戦い」のシンボルからのデザイン 「三脚シンボル」からのデザイン 勾玉からの発想による等々諸説があります。外周の丸い点は連子からの発想か 太鼓のイメージからのものと考えられます。

下の左側は下鹿山にあった「諏訪神社」の江戸初期 75mm。右側は上鹿山の江戸後期150mm。

若宮遺跡から出土で年代は不確定ですが80mm。

上鹿山の明治期らしい75mm。